ルナル Short−Story クローデル家の日常

著:南雲仁 & YOU

 グラダス半島の四大不思議都市の一つ、バドッカ。
海に面した岩肌に刻み込まれた巨大な鬼の顔と言う異様な風体で知られており、またの名を鬼面都市とも言う。
いつ、誰に造れたのかさえ解らないこの巨大な鬼の顔の中で、色々な人々がそれぞれの日常を精一杯生きている。
港の喧騒が、売り子の呼び声が、やんちゃ坊主どもの騒ぐ声が、この街がいかに活気に溢れているかを示していた。

 そんな喧騒とは無縁そうな顔で眠っている少女が一人。
そしてその隣の部屋では青年が、一人朝食の用意の為に忙しく立ち回っている。
精悍そうな顔をしているが、そのエプロンを見事に着こなしている姿は、なかなかに涙を誘うものがある。
さらに味見をして満足そうに微笑んでいる姿と言ったら……。

「……そろそろ姉ちゃんを起こすかな・・…。」

呟くと、おたまを片手に姉の部屋をノックする。

「姉ちゃん、朝だぞーっ!」

とりあえず大声で言うが、青年の記憶によれば、彼の姉がこれだけの事で素直に起き出してきたことは、まずなかったし、これからも有り得ないだろう。
それを考えると、少し世を儚んでしまうが、そうと解りながらも毎朝この努力を怠らない事に対して、彼は少し自分自身を誉めてやりたくなった。

(……やっぱり、起きてこないよな……。)

背中に哀愁を漂わせてそっと溜め息をつくと、気を取りなおして姉の寝室の扉を開く。
するとそこにはベッドの上で丸まった布玉(?)が一つ転がっているという、なんとも面妖な、しかし青年にとっては見慣れた光景が広がっていた。

「ほら、姉ちゃん、朝だぜ!起きろよっ!姉ちゃん!」

大声で叫ぶが、布玉はわずかに動いただけ。
しかし、彼もこれしきでは諦めない。かと言って無理に引っ張って床に落とすと、大変やっかいな事になるのはすでに経験済みである。
では、どうするか?

(ふっ、姉ちゃん。ついに俺の奥の手を見せる時が来たようだね……。昨日神殿に走って行く途中〔姉を起こすために遅刻しそうになった。〕に思いついた
『対姉ちゃん(朝モード)迅速対応秘技ぱーと57(ぱーと56まではすでに免疫をつけられてしまった。)』だぁっ!いくぜっ!)

青年は両足を肩幅に広げ、顎を少し引くと、体内に気を溜め始める。
そして気が最高に高まった瞬間、彼はそれを一気に解き放った!

「あ、姉ちゃん!こんなところにリッテンベールのショートケーキがぁっ!!」

そう、これぞ彼の新必殺技、『あら、こんなところに好物が♪』なのだっ!

「え?え?え?どこ?どこ?どこ?リッテンベールの苺ショートケーキ!!」

布玉になっていたものがベッドの上でぴょこんと跳ね上がると、12,3歳くらいの女の子が寝巻き姿でベッドの上に立ち上がって、きょろきょろと辺りを見回し始めた。
その姿からは、どう見ても少女にしか見えないのだが、実は彼女こそが青年の姉、フラウベル(=ジェシカ)=クローデルであり、今年で24歳というれっきとした大人なのである。
もっとも、性格のほうは……。

「さぁ、姉ちゃん。もう朝だから早く起きてくれよ。朝食も出来たからさ。」
「ショートケーキは?」

寝ぼけ眼でそう繰り返すフラウベル。
色素の薄い真紅の瞳があらぬ方向を見つめている。

「……今日のスープはとびきり良く出来たんだ。冷めないうちに早く食べようよ。」
「ショートケーキは??」

少しづつ目の焦点があってきたようだ。質問ではなく詰問の口調になっている。

「ねぇ、レイちゃん。ショートケーキは?」

青年……レイの顔にまだ春の終わり頃だと言うのに滝のような汗が流れ出す。
この時レイは自分の秘技の決定的な欠陥に気付いた。
この失敗は次回に生かさねば……いや、そんな事を考えている場合じゃあないっ!

「えっと……その……。」

(シャストア様……どうかご加護を……。)

赤の月の主神たる、物語の神シャストアに思わず加護を願うが……。

「……ないのね。」

無駄だったようだ。
フラウベルの声で部屋の温度が急に絶対零度まで下がったようにレイには感じられた。

(やはりガヤン様は、俺が嘘をついたのを見ていらっしゃったのだろうか……。)

それ以前の問題である。
冷汗ダラダラのレイは、自分の口から出た言葉を、まるで他人の言葉のように聞きつつ、呟いた。

「……ないです。」
「来たれ、雷よ。」

フラウベルの指先に出来た小さな雷球が、レイの持っていた『おたま』に飛んだ。

ぴばしぃっ!!
「ほげぇーっ!!」

絶叫が室内に響く。

「嘘つく子はメッなのよ。解った?レイちゃん?」

むろん、「メッ」されたレイに返事が出来るわけもなく……、ただただ痙攣を起こすのみである。
そんなレイを尻目に、ぴょんとベッドから飛び降りると、フラウベルはダイニングを覗きこんだ。

「あ、美味しそう!じゃ、朝ご飯にしよう!あ、そうだレイちゃん、後でリッテンベールの苺ショートケーキ、買ってきてよね。よろしく〜〜〜!」

後にはただおたまが敗北者を見上げるのみ……。かくして、クローデル家の平凡な一日はいつもと同じような光景と共に始まるのだった……。



昼間でも騒がしいくらいの活気に満ち溢れているバドッカだが、夜の帳が降りてくると、街はますます活気を増す。
特にそれが顕著なのが酒場街である。一日の疲れを癒そうと酒場に集まってくる人々の熱気が、さらに雰囲気を盛り上げているのかもしれない。
左目地区といえば百メルー通りが有名だが、その百メルー通りでも、特に騒がしいところにその酒場はある。
なんでも、酒場の親父さんの顔が、バドッカの鬼の顔に負けず劣らずいかめしいと評判で、挙句の果てについた名前が『鬼顔亭(きがんてい)』。
評判なのは、なにも親父さんの顔ばかりではない。
フラウベルに言わせると

『絶対ここのお料理は、バドッカ中の全部の酒場の中でも5本の指に入るわよ、ねー、レイちゃん』

だそうである。
しかも、(世間一般の水準から考えれば)安いのである。
まぁ、そんなわけでレイが警邏で忙しい時には、ご飯はここで食べる事に決めているベルである。

今日は安息日なので、本来ならレイは家にいる筈なのだが、朝早くから『書類整理が残っているから、出かけてくる(もちろん逃げたのである。)』と
言ったきり帰ってこないので、ベルは仕方なく『鬼顔亭』にやってきた。
酒場の親父さんのゴートさんとも顔なじみだし、二週間前にこの街に来た歌い手の兄妹も、そろそろ準備に取りかかっている頃だろう。
うまくすれば、バッシュやマリー先生も来ているかも知れない。
お夕飯のことが無くても、彼女は『鬼顔亭』にやって来ていたに違いない。

タマットさまの囁きはやはり確実だった。
ステージに近いテーブルを見慣れた顔が占拠していたのだ。

「わーい!!やっぱりみんなここにいたー!」

トテトテとまるっきり子供の走り方でそのテーブルの方に走り寄り……

ぽてっ

「うきゅっ!」

突然こけた。しかも顔面から。

「…………。」

騒がしかった酒場に奇妙な沈黙が生まれた。
皆とりあえずベルの方に視線を向けるが、一体どうすればいいのか解らないのだ。
その昔このような状況で無遠慮にベルを笑った者がいた。その後彼は……。
何事もなかったかのようにポンッと立ち上がり、再びベルがトテトテとテーブルに走り寄る……。

ぽてっ

「うっきゅっ!」

海よりも深い沈黙。張り詰めた緊張感。
その時、一人の男がテーブルから立ち上がった。

「大丈夫かな?お嬢さん。」

そう言いつつ、さりげなく手をとって立たせてやる。
ピョンコッと立ちあがると、ベルは急にクスクスと笑い出した。

「なぁんだ、バッシュ君じゃない。大丈夫だよっ☆」キャラッと笑ってそう返した。
「……そっか。それは良かった。」
バッシュ……バランシュ=ダッカ―は極力、ベルの鼻に注目しないようにしながら微笑むと、ベルの愛用の席の椅子を、まるで貴族に対して
給仕がするように引いてやり、そして彼女がそこにポフッと座るとそっとその椅子を元に戻してやる。

「ありがと☆」
「けっ、チビのガキ相手に何してるんだか?!」

ベルがバッシュにお礼を言うやいなや、ベルの背後から無遠慮な声が響いた。

「嬢ちゃんみたいな子供のくるとこじゃねぇぜ、とっとと帰ってママに甘えてな!ハッハッハッ!!」
さっきまでの騒然とした場の雰囲気はどこへやら。
酒場中を氷のようなさっきが吹きぬける。
その男の近くに居たやつら……おそらくツレであろうが……が、そそくさとそいつの周りから離れていく。
酔っているのだろう。そいつのお喋りはとどまるところを知らなかった。

「それともママにほおりだされて、ミルクでも飲みに来たのか?」
「知らねぇからな、俺は。」

バッシュは振り向きもせずに言った。
もうすでに忠告ですらない。
ベルはうつむいたまま振り向いてぶつぶつと言っている。
何を言っているのか普通の人には聞き取れないだろうが、この店の常連達はこの後の惨劇をすでに予想していた。

「何が怖いって?そんなチビガキ!」
「やれやれ、あの世で後悔するんだな。」

淡々と呟いた後、彼自身も避難する。
その時になって男の目にベルの『銀色の』髪が映った。

「ま、まさか?!」

時すでに遅し。
直後、酒場中に絶叫が響きわたった。

「んぎゃぁああああああああああああ!!!」

ベルの指先に溜められた雷(いかずち)の塊が、狙いあやまたず男に直撃したのだ。
むろん、レイの時のような手加減はない。でかい図体だけの男は黒焦げになって倒れた。
男の体が酒場の床を盛大に鳴らしたまさにその時、レイ=クローデルは酒場のドアを開いた。
そして自らの目の前に広がる光景をやけに真面目な顔つきで見ると、やがてふかーい溜め息をつき、胸の前で小さくガヤンの聖印をきる。
そして男のうかつさに対する同情の眼差しを送った。

(雉も鳴かずば撃たれまいに……。)

ほんの一瞬、目の前の男と自分を重ね合わせてしまい、レイは慌てて頭を振って、その不吉なイメージを振り切ると、仲間達の方を見やった。

「姉ちゃん……またやったの……?」

バッシュとその他の面々……シャストア神官であるマリー=ミューゼリオンとドワーフでデルバイ信者のドンである……が無言でふるふると
首を横に振る名か、ベルだけが得意そうな顔をして、レイの方を向いた。

「うん☆」

天を仰ぎ微かな声でガヤン神の名を唱えると、レイはツレに運び出される黒焦げの男を一瞥しながら、仲間達と同じように
ふるふるとく美を振ったのだった……。


戻る
トップに戻る